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August  2015

Bosnia and Herzegovina

民族紛争の末世界遺産となった橋・スターリ・モストのあちら側とこちら側へ。

最後は伝統の味・ボスニアンコーヒーでほっこり

「モスタル」

スターリ・モスト
ボスニアmap

教科書ではユーゴスラビアだった国

初のバルカン半島

ボスニア・ヘルツェゴビナを目指します。

記憶を辿れば、社会の教科書で

ユーゴスラビア連邦の共和国の1つ

と覚えたこの国(世代バレ)。

私の中で90年代の民族紛争での負のイメージ

は相当強く、その後も印象が変わることは

残念ながらありませんでした。

数年前まで旅の情報が極端に少なかっ

この国ですが、お隣のクロアチアが

最新リゾート地として大注目の中、

ここモスタルへは、アドリア海沿いの町から

日帰りで訪れる欧州人が急増中だそうです。

 

ようやく観光客として訪れる事が

できるようになってホントに嬉しいです。

・・・でも・・・とにかく遠っかった(激疲)

絶対行くぞ!と思いを馳せて16年

年月という道のりに加え、

今回は、前泊のクロアチア・コルチュラ島

からの単純な道のり・・・これが長くて。

ルート変更と遅着の連続でくたくた。

トータルすると、船と長距離バスを

乗り継いで約11時間

今回の目的地モスタル到着です。

​あれっ いきなりその空気?

旧市街のアパートを予約し、

ご主人のお迎えをあてにしていたのに、

よりによって急遽お留守⤵ えー(辛")

船酔い&バス酔いの旅之助一家は

仕方がないので、

この旅初のタクシー移動

 

長距離バスターミナルから

旧市街にあるアパートまで車で5分強。

川を渡りクロアチア人が多く住むエリアを走り、ぐるりと回りまた川を渡り

再びムスリムの方の多く住むエリアへ。

そのタクシーの中での出来事。

言葉はよくわからなかったのですが、

初めはにこやかだった運転手さんが

まだ新しい教会を指差し怪訝な表情に。

さらに古い銃撃痕のある建物の壁や

モスクを指して

怒りがヒートアップしている様子。

あれっ、

いきなりダイレクトに内戦の話…。

そしていきなりこの車内の空気…。

ここモスタルは、

民族間の争いの中破壊された

象徴的な橋がある町

​ムスリム系の運転手さんが

「この状態を見てくれ」と

ばかりに訴える目線の先にある風景。

実際に見ると、想像していた以上に

衝撃的な印象です。

その光景を脳裏に焼き付け・・・と思って

いるとあっという間にアパートに到着。

しれっとボラれてしまいましたが^^;

運転手さんと最後は笑顔でお別れし、

その象徴的な橋・スターリモストへ

向かいます。

日本人に理解できるのかって話

複雑なのですがザクッと。

20数年前に起こった紛争で、

町全体が壊滅的な被害を受ける中で

異なった民族の居住区間を渡していた橋

スターリ・モストも破壊されてしまいます。

 

ごくごく普通の一般市民同士が戦っていた

この民族紛争の悲惨さを後世に残すため

ユネスコが修復し

世界遺産に認定。

 

紛争が終結した現在、

当時戦っていたクロアチア人などの

キリスト教系住民と、

ボシュニャク人やセルビア人など

ムスリム系の住民は、橋(川)を隔てて

西と東にそれぞれ暮らしています。

 

ちょっと驚いたのが

今は平穏に見えるこの町

未だに川のあちらとこちら、

ほどんど交流がない状態らしいのです。

えー・・・。お互い不信感が消えないまま

共存して暮らしているといった

感じでしょうか。

この町に来たからにはこの話題を

避けて通れません。

ただ、民族や宗教の話になると

共感できる部分がとても乏しいわたし。

 

深く理解できているのかどうか

旅の間、自問自答の毎日でした。

銃弾ボールペンって・・・

さて、

船酔いもバス酔いも少し収まってきた事だし

早めの夕食を取ろうと旧市街へGO。

レストランを物色しつつ、

土産物屋を冷やかす旅之助一家。

旧市街で売られているお土産。

ちょっとびっくりするのが、内戦中に実際

使われていた銃弾?を使ったボールペンなど

紛争グッズの数々

うーん、

ベトナムでも戦争グッズを見たけど

こちらの方がどうもシャレにならない。

そして、トルコのエジプシャンバザール

を思わせるエキゾチックな

アイテムの商品がズラリと並びます。

 

すっかりヨーロッパの仲間入りを果たした

クロアチアと接する国だという事を

忘れてしまう雰囲気。

肉食パラダイス

っさ

そろそろ家族内で、食べる店を早く決めよとの

空気が流れはじめました(焦)

しょうがない!とばかりに飛び込んだ

THE観光地って感じのレストラン

Restoran Sadrvan

民族衣装のかわいい女性の

お出迎えに皆⤴となる。

なかなか素敵なガーデンレストランで

屋外の席に通されました。

メニューは写真入りでわかりやすく

あれこれ見ていてふと気づいたのが

肉料理の種類の多さ

ボスニア料理は、ヨーロッパではなく

トルコ料理に似ていて

見た目も香りも相当好みです♪

とりあえず、2~3人前くらいあるという

肉と野菜のグリルプレート

注文しました。

ボスニアの定番である

ひき肉のジューシーなソーセージ・

チェヴァプチチ evapčići

ケパプピタパンに挟んでがぶっ。

​美味しい~♪

肉汁の洗礼を受けテンションさらに⤴

スパイスの効き具合もいい塩梅で

ボリュームもまずまず。

​食後はボスニアスタイルで

そしてふと周囲を見渡すと、

イスラムちっくなコーヒーセットで

ほっこりしている人を発見。

思わず(恐る恐る1人前だけ)

同じものを注文してみることに。

ボサンスカカーワ Bosanska kahvaと言う

ボスニアスタイルのコーヒーで

粗く挽いたコーヒーに砂糖を加え

細かい粉が沈殿するのを待って

上澄みを飲むという、

トルココーヒーの親戚版スタイル

ジェズバDžezvaという取っ手の着いた

ポットから1杯ずつ入れていただきます。

 

トルコのロクムと言うお菓子に似た

羊羹系かなと思われるお菓子が

添えられていました。

和菓子が苦手な旅之助は、そこからあんこ系オーラを感じ、娘に試食を強要。

・・・あんまーい(苦手)けどなるほどー。

苦めのコーヒーが良く合うお菓子です♪

デザートまで堪能でき満足し、帰るころには

いい具合に日が暮れていました。

本DSCN0490.jpg
本DSCN0470.jpg

出発の朝

静かで凛とした空気の中、

帰りは歩いてバスターミナルへ向かいます。

 

時折、紛争で破壊されずに残った

オスマントルコ時代を彷彿させる

エキゾチックな香りの建物が目に入り、

あらためて素敵ー

ですが、そこにいきなり現れるのが

激しい銃弾の痕が残る廃墟。

思わずハッとさせられます。

そして、バスでモスタルを出発。

町からどんどん離れていくと感じたのが、

気のせいじゃなく墓地が多い。

しかも全て新しい。

今度訪問する時は、オスマントルコ時代まで

歴史を遡って、負の世界遺産になってしまう

もっともっと前のモスタルを

純粋に楽しんでみたい思いました。

モスタル
モスタル
Mostar
Mostar 88000 Bosnia Herzegovina

夏場はクロアチアの各町から日帰りツアー

も出ていて昼間の時間帯は人がいっぱい。

治安の悪さは感じなかったので、

夜のスターリ・モストを見に行くためにも

1泊するのがおすすめ(宿も安い)。

旅之助一家が途中まで企んでいたのが、

アドリア海沿いの町プロチェから

首都サラエボ行きの国際列車でモスタル

に入る鉄道ルート。ハイシーズンなのに

運休中だったり情報がちょっと不安定

なのが難点です

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